『岳飛伝 十六巻』
さてさて、いよいよ物語も大詰めです。てか、もう最後が見えている所でしょう。
うん、まずはね、前回の十五巻の時など話したオウム。
あいつ十六巻でこんなこんな事言ってたよ。
「やるだけやって死ぬ。でも、何か食べたい」
何か食べたいぃぃ??はぁぁあ??
ってなった!
なったけどこの言葉、すごいんだよ!
なんでって「やるだけやって死ぬ」って、たぶん人間にしかできないんよ。『大水滸伝』でいう『志』ってところよ。自分のできる事を全てやる!って、『水滸伝』から続いている根本のところだと思うんだよ。志うんぬんを抜いて、人間だからこそできる勝手な『使命感』的なとこだと思うんだよね。
そして「でも、何か食べたい」
これって、生き物の本能的な部分『生き残る』っていう事だと思うんだよね。何か食べないと生きていけないっていう、生き物としての根本の部分を言っていると思うんだよね。
その2つを合わせて、なによりも人間ではないオウムに合わせているという点が(合わせているのは作者だ!)、なにかこの『大水滸伝』の1番深く大事な事を言っているような気がするんだよね。
まぁ、感じ方は人それぞれだろうから、これはあくまで私個人の意見です。
作者は何をもってオウムにこんな事を合わせたのか。
たぶん。たぶんだけど、文庫版『岳飛伝』の後に読本がでると思うけど(題名は(尽忠報国か?)、そこにもしかしたら作者の思いがでるかもしれない。そしたらなにかしらわかるかもしれない。あくまで予想だけど。
個人的にはすごい深いモノが含まれていると思うところ。
あと、梁山湖からの古い戦士が二人、本懐を遂げる事ができました。
ああいった場面があると、弔い酒を飲みたくなるね。決して哀しみの酒ではなく、祝福の酒を、ね。
私はたまたま取引先の人と酒を飲むことになったけど、ちょうとこの巻の張朔と朴統のような状況で酒を飲む事ができた。
一人で飲んだら、いつぞやの公孫勝のようになっていたかもしれない。
それは、救いだったのかもしれない。うん。
中盤には打狗という人物が出てきます。岳飛陣営として。こいつがまた終盤に出てくるところが、一つのアクセントとしてキラと輝いているんです。打狗が岳飛に「すまん、すまん」と謝られる場面は、緊迫した中でちょっとした清涼剤のようでした。深くは言いません。
いつも陸甚は「生きていることを後悔させてやりますよ」といつも程雲に軽口を叩いていましたが、一体彼は誰に一番「生きていることを後悔」して欲しかったのか。またさせたのか。最終盤にふさわしい場面展開でした。
そうそう、胡土児がまさかそんなことを考えていたなんて思わなかったぁ!!って場面がありました。でも、驚くのと同時に納得もしましたけれど。次巻がどうなるか目が離せません。
この巻を締めくくるのは、梁山泊軍VS金軍です。呼延凌とウジュの膠着を破った結果訪れた結末とは・・・!?
「ここに、このまま寝かせておいてください。二刻でも一刻でも、長く生きていただける方法です」
戦場のど真ん中で医師が発したこの言葉。
一体誰に向けられた言葉なのか。
気になる方は是非ご一読を!