『岳飛伝 十五巻』
やっと読み終えた!
物語も佳境に入りこの巻を入れて残すところあと3巻!
楊家の剣「吹毛剣」も元の持ち主に帰り、物語が新たな軸を得てすすみ始めた次の巻。
どこの項にも不穏な戦乱の予感を孕み、ついに物語が終局へと向かうしかない状態となっている。
この巻を一言で言えば
「やるだけやって死ぬ。でも」
作者は一体どうやったらこんな言葉をこんなにも印象付けるように書くことができたんだろう。
そんじょそこらの登場人物が言ったところで、「はいはい、北方イズム北方イズム」となったり、「うん!北方らしい!」となるだろう。
でもこの言葉、鸚鵡(オウム)が言ってるんだぜ?
オウムっていうと、小梁山のある南方の生き物。
だから小梁山が絡んでくるんだけど、なぜオウムに言わせた?
オウムは確かに現代でも人間の言葉を言うように仕込む人もいるけど、(くどいけど)作者はなぜオウムに言わせたのか。
考えると夜も眠れなくなって、気づくと朝になってるんだw
他にも、いよいよ梁山泊VS南宋VS金国の、三つ巴の戦いがはじまる、まさにその直前でこの巻は終わる。
梁山泊は滅びる。歴史にその名前が残りづつけていないから。ってなにかで作者が語っていたので、最終的には梁山泊は滅びるんだろう。歴史を見ても、この三つの国はどれ一つとして残ることがない。物語に点々と現れる蒙古(のちの元)に滅ぼされるからだ。
でも、ただ滅ぼさせるわけがない。作者は絶対になにかを、爪痕を残さずして滅ぼさないはずだ。いや、これまで死んでいった漢たちがそうさせるはずだ。
十五巻の最後で出てくる史進が、これから起こるであろう最終決戦において、絶対にいい味を出すに決まっている。
最近鉄棒と日本刀の二刀流になった史進。最後になるであろうこの戦いにどう活躍をみせてくれるのか。楽しみでしかたない。
しかし、『岳飛伝』でもそうだが、『大水滸伝』に出てくる人物って、みんな多種多様な理想的な人物になっているよな。行間でなにが行われているかわからないが、みんな一様に理想の上司であり、理想の同僚であり、理想の部下である。なによりも理想的な環境のように思える。
これはただ単に決して“そこ”にはいけないという羨望が引き起こす情念なんだろうが、それでも理想を追求してやまないその世界は、誰しもが憧れる世界のはずだ。
言い方によっては、理想がすぎるようにも思える。個人的にはもっと人間の汚さや醜さ、賎しさを出して欲しいとも思う。
それでも二十年近く北方ワールドに魅了されてきた私は、これからも酔い続けるだろう。
さて、十六巻読むか(笑)
それにしても、『チンギス記』が楽しみだ。